kuroのブログ

アメリカ移住し、英語を勉強するために飛び込んだバイブルスタディ(聖書の勉強会)。宗教に懐疑的だった、ザ・日本人の私が出会ったのは、哲学の森でした。化学の畑で生きてきた人間が、世界で最も読まれている予言書『聖書』を信者の目線からではなく、あくまで日本人の目線から、自分なりに解釈していく過程です。神様ってなんだろう。

私は多神教か。

キリスト教の神様と私の神様 

 キリスト教一神教です。この世界を創造した神、YHWHを唯一の神様としています。その存在は完璧【perfect】で時間や空間をも超越しています。

 対して、日本は多神教といわれます。出身地や育った環境によって神様の捉え方は様々。これまで神様について考える機会など皆無でしたから、バイブルスタディで神様を理解する前に、自分の中の神様の定義について明確化する必要がありました。

田舎で育った私は、山や川、木や草花、トイレや食べ物の中にさえも神様がいると信じています。地震や台風など、常に自然の驚異に晒されている日本では、人間を超越した目に見えない存在を知らず知らずのうちに認識してきたのかなぁなど考えます。私の中のそうした神様たちは人並み外れた能力はあるけれど完璧ではなくて、喧嘩もするし結婚もする、人間の性質を持ったものです。この思想はキリスト教のそれとはかけ離れているなぁ。

キリスト教の言葉を借りると、私の神様は神様【God】でなく【Spirit】または【Energy】

 クリスチャンは創造神以外に目に見えない存在を感じることがないのでしょうか。この議論はとても興味深かったです。議論していくうちに、彼らの中で私の神様は神様以外ものに分類できる事がわかりました。

 まず食べ物全般をはじめ人の手で作られた物に宿っていると感じる神様。クリスチャンもこの感覚を持っていました。しかしそれは神様ではなく作り手が【Spirit】【Energy】を吹き込んでいるといった感覚で、神様が宿るわけではないということでした。パワーストーンやジュエリーなどを例にとって解説していました。クリスチャンでもそういう力を信じている人もいるんだね。

 また、木や草花にも【Spirit】が宿っていると考えるクリスチャンも多くいます。ただ旧約聖書では人間は神様を反映して作られた特別な存在として位置づけられているため、人間と動植物の間には大きな違いがあります。私の中では『生物』と『非生物』の間にこの線引きがあるのですが、キリスト教では『人間』と『動物』の間に線が引かれています。同じ人間を奴隷として酷使することができたのは、『動物』側に黒人を入れることができたからなんだね。この議論も深いので別に復習したいと思っています。クリスチャンと私のこの感覚の差があまりにも大きく、キリスト教を理解できない一つの要因になっているのではないかな~と思いました。逆を返せば、この議論が自分の考えを明確にしてくれたなと。

 山で育った私は山の神様を強く信じているのですが、クリスチャンに言わせると、それも【Spirit】【Energy】と同様のものであると言われました。しかし一方で、私の中の山の神様の感覚とクリスチャンの中の神様の感覚はとても近いということがわかりました。山に入るときに「お邪魔します」、山菜を摘むときに「いただきます」。崇め奉るというよりはご近所さんの関係という感じでした。クリスチャンにとって神様は畏れるものでなく父であり、友達であり、とても近い存在です。これは神道ユダヤ教と比較したとき大きな違い。山の神様に対する私の感覚ととても近かったのです。クリスチャンにとって創造神とは拠り所でありとても近い存在なのですね。

 なお、旧約聖書の中で、神【God】は当時の他の宗教の神々【gods】の存在も認識していますが、自信が他の神を凌駕する存在であるとしています。本物の唯一神は私のみである、と。

 とすると私はクリスチャンの中では無神論者ということになるのかな。